大辞林 第二版 (三省堂)によると、忠義とは「主君や国家に対して真心をもって仕える・こと(さま)。忠節。忠誠。」となっています。
「武士道」では、「主君に対する臣従の礼と忠誠の義務」であると言っています。辞典とほぼ同義です。
ただ、武士道においては、無節操なへつらいをもって主君の機嫌をとる「佞臣」や奴隷のごとき追従の手段を弄して主君の意を迎えようとする「寵臣」は、軽蔑の対象でした。
真の「忠義」とは、仮に主君と意見がわかれたときは、あくまで主君のいうところが非であることを説くことであるといいます。そして、どうしても主君に受け入れてもらえなければ、自己の血を以って、つまり死を以って自分の言説が誠であることを示し、主君の良心と英知に訴えるのです。
サムライにとって命とは、主君に仕える手段とさえ考えられており、死をもって誠を貫く姿勢は最も名誉なことと考えられていました。ここにも「切腹」に通じるものがあるような気がします。
ここで一点、気をつける点があります。現代では、国家に対する忠義と考えるべきでしょうが、具体的に忠誠を誓う対象があいまいな気がします。少なくとも、昭和戦争時代のようなファシズムに対して忠誠を誓うことは、あってはならないことだと思います。やはり、地球規模で考えた時に世界中が幸福となるような政策なり方針に対してのみ、忠誠を誓うべきだと思います。
過ちは、二度と繰り返してはならないのです。



















