大辞林 第二版 (三省堂)によると、礼とは「社会生活をする上で、円滑な人間関係や秩序を維持するために必要な倫理的規範の総称で、人として従うべき行動様式全般を包括する。祭祀(さいし)儀礼、葬喪儀礼、出処進退の作法、制度、文物などで、儒教では経書(けいしょ)の「周礼(しゅらい)」「儀礼(ぎらい)」「礼記(らいき)」に規定があり、倫理的規範として最も重視した。」となっています。
「武士道」では、「礼とは他人に対する思いやりを表現すること」、「他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さが「礼」の根源である」と言っています。
文字からすると、「礼儀作法」を表しているように思われがちですが、武士道においてはむしろ精神的なものを意味していると思います。
例えば、日陰のない炎天下にあなたがいるとします。そこへ日傘をさした顔見知りが通りかかります。あなたは彼に声をかけます。すると彼は即座に日傘をおろします。この時、彼はあなたと話している間中、日傘をおろしたままあなたと同じように炎天下に立っているのです。この行動に対する彼の動機は次のようなものです。「あなたは炎天下に立っていらっしゃる。私はあなたに同情します。もし私の日傘が二人とも入れるくらい大きいか、またはあなたと私の関係がもっと親しかったら、喜んでこの傘の下にお入れするのですが。けれども今のあなたと私の関係では、日陰を作って差し上げられないので、せめて私もあなたのご不快をわかちあいます。」
また、贈り物をするとき、日本では「つまらないものですが」と言います。この真意は次のような心情であるといいます。「あなたは立派な方です。どんな贈り物も立派なあなたにはふさわしくありません。私があなたの足許に置く品物は私からの感謝のしるしとしてしかお受け取りになれないでしょう。どうぞこの品をその物の価値ではなく、私の心からのしるしとしてお受け取り下さい。最上の品物でもあなたにふさわしい、といえばそれはあなたの品格を傷つける侮辱となるでしょう。」
近年は何かとグローバル化と称して、その実は西洋化が進んでいるように思います。それは倫理・道徳面においてもです。しかし、我々日本人には「武士道」という立派な倫理観があるのです。相手の文化を理解することは重要ですが、何でも迎合すべきではないと思います。先の戦争で日本は敗戦したためか、日本独自の文化までも負けてしまったように錯覚してしまったのでしょうか?我々日本人は、上記のような倫理観の真実を西洋の人たちに英語で伝えられるよう、日々精進すべきと思います。それこそが、真の「国際人」なのですから。



















